楽しみな存在

2019年07月31日

楽しみな存在

下部組織(Bチーム)ではあるものの、世界のビッグクラブ3本の指に入るであろう、スペインのレアルマドリード、バルセロナに日本人選手(久保建英、安部裕葵)が加入したことは、衝撃的だ。 フランスのある雑誌によると、選手、市場価値、クラブの歴史、SNS、平均観客者数、テレビ視聴者数、グッズ売り上げ、移籍金の出費などの10項目で査定した世界のクラブランキングを見てみると、

10位 アーセナル(イングランド)
9位 マンチェスター・シティ(イングランド)
8位 チェルシー(イングランド)
7位 PSG(フランス)
6位 ユヴェントス(イタリア)
5位 リヴァプール(イングランド)
4位 バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)
3位 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)
2位 バルセロナ(スペイン)
1位 レアル・マドリー(スペイン)
となるらしい。

まさに、世界で1,2を争うチームに日本人プレーヤーが所属していることになる。 過去を振り返ってみれば、実に1977年、奥寺康彦氏が日本人サッカー選手としては初めて、ヨーロッパのトップリーグでプレーしている。
1986年には今でも現役最年長プレーヤーとして活躍する三浦知良選手(カズ)がブラジルの名門サンパウロFCでプロ契約を結んでいる。
もちろん、その当時、日本のサッカーにプロリーグは存在しない。
時は流れ、カズは1994年に世界最高峰リーグの一つであるセリエAのジェノアでアジア人初のプレーヤーとなる。
その前年、世界に遅れを取るが日本に初めて、プロサッカーリーグ(Jリーグ)が誕生する。(当時は10チーム)
ワールドカップに出場したことのない国が、数々のスポンサーを集め、日本にプロリーグを結成した。
1998年にはフランスワールドカップに初めて出場することとなる。
しかし、出場選手の中に海外クラブ所属はいない。
20年の時を経て、6大会連続出場を果たす2018年ロシアワールドカップでは、23人のメンバーのうち、15名が海外クラブ所属であった。
日本に目を戻すと、Jリーグの歴史をみても、当初は10チームだったクラブも今では、J1,2,3合わせて【58】ものクラブが存在する。
ジーコやレオナルド、ストイコビッチやドゥンガ、リトバルスキーなど、ヨーロッパ南米はじめ、アフリカからはエムボマら、世界で活躍する選手たちがJのピッチで活躍した。
すなわちそれは、日本サッカーの成長を象徴するものとなった。
プロサッカー選手への道は、10チームだった当初に比べ、はるかに拓けているのだ。
国内では、サッカーはプレー人口が一番多いスポーツともいわれている。

今や日本人プレーヤーにとって海外でプレーすることは、そう珍しいことではない。
中田英寿氏がASローマ在籍時(2000-01)にスクデットを獲得し、成功を収めた。
その後、多くの日本人選手が世界のビッククラブへの移籍を果たした。
稲本選手(アーセナル)や宇佐美選手(バイエル)、香川選手(マンチェスターユナイテッド)、長友選手(インテル)、本田選手(ACミラン)らは、海外のビッククラブへ移籍した。
長谷部選手はドイツで岡崎選手はイングランドで、それぞれ主力として活躍し優勝経験も積んでいる。
実際、海外の主要リーグに所属する日本人プレーヤーは50名以上はいる。
しかし、多くの選手はレギュラーとして活躍し続けることは出来ていない。
そこの部分で今は苦しんでいる。
20年前は、海外のチームに所属することが精一杯だったものに対し、今は前途したように、所属することはそう難しいことではなくなってきているのが現状。
今回の久保先生、安部選手の移籍がこれから先、次の20年、いや数年の日本サッカーの歴史において大きな一歩となることを願わずにはいられない。
是非とも、レギュラーとして活躍し、ビッグイヤーを掲げる姿をみてみたい。

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